サラリーマンが快活に働く為に絶対必要なワザ

こんにちは、たろちです。


僕は、今会社員として平日働いています。楽しいか、楽しくないかと言えば、どちらかといえば楽しくはない。つまらないなーと思わされることがたびたびあります。本当に正直な話、もう辛すぎて辛すぎて、、、、と考えさせられる夜もあったり、、、、。




仕事で楽しい、楽しくないなんて言うべきではない


そんな考え方もありますが、楽しくないものは楽しくない。短い人生なのに、ここまで楽しくないことをやり続けたくはない。楽しんで仕事ができるようになりたい。


一方で、仕事が好きか嫌いかと言えば、どちらかと言えば好きなのだと思います。友人とかと仕事の話をすると、楽しそうに話すね、とよく言われます。つまり、仕事が全部楽しくない、というわけではなく、楽しくない面があるということなのだと思います。


また、苦労が多いから楽しくないか、と言えばこれも必ずしもそうではないように思います。苦労も、いい将来に繋がると思えるならば大きい苦労ですら楽しく感じられるのではないかと思います。


つまり、今の僕が楽しくない、と感じるのは苦労が多いからと言うわけではなく、将来に繋がらないと思えるからなのではないか、と思います。


何が、僕をそう思わせるのか、掘り下げて考えていきたいと思います。




悪い人間関係



楽しくない原因のメインはこれのように思います。


具体的に挙げていきたいと思います。





人の理不尽な対応



ちょっとの理不尽なことで人を苦しめられると思います。


僕自身もそのちょっとしたことで理不尽なことと感じさせられています。人が僕に与える理不尽さで僕の心は傷つけられ楽しくないと感じている。


ささいな理不尽さが大半。一部大きな理不尽さ。でも、一方で理不尽さを感じないことはほとんどない。この社会は理不尽さを与えあって構成されている、とそう考えらえるほどのように思う。


改めて眺めると、この世界は理不尽さの因果応報。理不尽さが減ることはないと思います。人がやったから自分もやっていい、と言うのが横行しており、みんなで不幸の道をひた走っている、そんなふうに見えなくもないです。


偉い人は偉ぶって理不尽な対応を取ることが多い。その偉い人もかつては理不尽さに辟易したことがあったはずなのに、そんなことはもう忘れているのだと思う。



会社社会はいずれにしても明確な序列がある世界なので、その歯車の中では、理不尽さは間違いなく存在する。その環境の中で、理不尽さを否定してしまっては生きられない。


僕としては、あまり人に理不尽さを与えたくない、と思っているが、実際はそんなことはなく、理不尽だと思わされる対応を取ってしまっていることがあるだろうと思う。


そんなことを気にせず強くなればいいではないか?


それも正しい意見です。しかし、気にしないとすでに思えれば問題にはならないわけで、感じてしまっている以上、止めるのは至難の業です。





将来に希望がない



働く始めたころは、将来に希望を感じていました。今の僕も全くないわけではないのですが、以前よりも希望は小さくなっているのがわかります。将来、今の会社にずっといることに魅力が感じられない。


当然、管理職に魅力がない。でも、あと数10年働かなくてはいけないのかと思うと辛すぎる。


現在の環境から逃げ出せないと感じていて将来は絶望的。何をしても駄目である。僕は何もしようがない。ただ耐えるしかない。耐えたくないのにやりようがない、という状態になりただただ怯える毎日となっている。このことから来るストレスで頭の中がおかしくなってしまいそうになります。



転職したら解決できる問題ではない。理不尽さは人の世の常なので、場所を変えても変わることはない。そう思うと、本当に逃げ場がないと言うこととなる。




解決する方法



先ほど、難しい、と言って一蹴をしてしまいましたが、

結局は

気にしない

もしくは

気にしてもすぐ忘れる

ということをできるようになるしか理不尽さに対する解決方法はないように思います。





他人に理不尽さや横暴さを止めさせることはできないので、僕自身が変わるしか、僕を救う手段はないのだと思います。


この、気にしない、という技術がないと、人生で苦しみ続けてしまうこととなるのでしょう。理不尽さにうまく対応をしている人は、この技術に長けているだけなのかもしれません。


どうしたら、気にしないでいられるのか?


実は、このブログ記事を書いている中で、そういった楽しくないという心理は吹き飛んで、好奇心に変わってしまっています。客観的な視点に立って僕自身を見ることができれば、気にしないでいられると思います。





まとめ



今回は、なかなか心理的に難しいと感じている問題について書いてみました。書くことでこんなに気持ちが変わるとは思いもよりませんでした。


書く前までは辛いな・楽しくないな、書きたくないなと感じていたのですが、理不尽さはなくならない・気にしないしかない、と思ったとき、客観的に物事が見えるようになりました。


ゲームのキャラクターのように自分のことを見ることができれば、一つ一つの出来事なんて気にならないのかもしれないな、と思った次第です。


実際、ゲームの中で起こったことをいちいち気にしてはいないですからね。


とは言っても、当事者意識、というのは当事者本人に植えつけられています。簡単には変われません。


それでも、今頑張っている英語・FP3級・ブログ以上に気にしないで入られるワザを手に入れるための努力はすべきなのだと思いました。

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